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研究者インタビュー

ゲーム研究者インタビュー

養老 孟司先生インタビュー【第2回】

テレビゲームへの正しい理解を~ゲーム研究者インタビュー

養老 孟司先生インタビュー

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養老 孟司(ようろう・たけし)

東京大学名誉教授/解剖学者

1937年、鎌倉市生まれ。解剖学者。東京大学名誉教授。趣味は昆虫採集。テレビゲーム好きとしても知られる。1989年、『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。2003年、『バカの壁』で毎日出版文化特別賞受賞。東京国際マンガミュージアム館長、日本ゲーム大賞選考委員会委員長。『唯脳論』『解剖学教室へようこそ』『死の壁』など著書多数。

第2回テレビゲームと人の健全な関係を築くには

2007年11月15日掲載

テレビゲームの可能性を伸ばす

――「分別」をつけていくには、テレビゲームとどのようにつきあっていくのがよいのでしょうか。

養老:人を育てるのと同じです。いいところ悪いところを見て、いいところを取っていくしかない。テレビゲームはすでに存在しているもの。悪いところは言いやすいし、言っていたら際限がない。でも、思わぬ効果をいろいろ持っていますし、よい可能性を広げるほうがいい。

――先生がお考えになるテレビゲームの長所とは。

養老:人間が夢中になるものは、まず第一に集中力を高めてくれます。これはテレビゲームのよいところです。

でも、どんなものごとも裏表があります。逆にいうと、つまらない仕事を押しつけられたりすると、ゲームほど集中できなくて、やりたくないという人がいるかもしれません。ゲームのほうが人生より面白いと勘違いしてしまう。それは間違いだけど、そこは確かにゲームの難しさがあります。

――自分が生きている世界とゲームの世界の区別がおぼつかなくなるということですか。

養老:これについてはずっと前から言っていますが、人間が見ているものはみんなバーチャルです。意識のある時間を、どのように振りわけるかということです。

また、人の要求水準が高くなったことで、ゲームがアクティブになり、情報量がかなり多くなりました。それは、車のない世界ではぼんやり歩くことができたけど、現代は車が多くなったので、信号で止まる必要がある。止まっても、とんでもない車もあるかもしれないから、ちゃんと見ていないといけない。そういう状況と同じです。情報がたくさんある社会になって、子どもに訓練することが増えてきました。

しかし、情報量が多くなったことで、テレビゲームは人間や人生に対する考え方を深めてくれる可能性もあるかもしれません。少なくとも、僕は、人間の脳みそがどういうものを望んでいるかを、ゲームが一番明らかにしてくれたと思います。ゲームにはそれが見事に出ています。

テレビゲームでアクティブになる?

――テレビゲームは人になんらかの影響を与えると思われますか。

前回、テレビによって「総インテリ化」したと言いましたが、まず、テレビの影響について言いましょう。テレビはそこに流れているけれど、人の相手をしてくれません。一つの例として、今、子どもが歩いていて、その先に崖があって落ちるとしましょう。現実の世界では「危ない」と言って、声をかけられるけれども、テレビでは画面のこちら側から声をかけようがかけまいが、落ちることになっているわけです。そうすると、テレビと一緒に育ってきた人たちは無意識のうちに、自分がどう考えても、自分と関係のないところでものごとが筋書きどおりに進行すると思い込んでしまう。いわゆる「しらけ世代」の人たちが「いいんじゃないんですか」と突き放した言い方をしてしまうのは、たぶん世界をテレビでしか見ていなくて、無意識にそういう感覚を身につけてしまったのではないですか。

そのテレビに手をつっこめるようになったのがテレビゲームです。画面で起こっていることを自分でコントロールできる。これは非常な魅力だと思います。テレビゲームとともに育つ世代が、主体的でアクティブになっていく可能性もあるという気がしています。

――自分で関わっていかないと、ゲームも進みません。

養老:自分が手を出した結果、世界が変わる。それは脳にとっては大きいことです。それは日常の世界で、一歩歩けば見える景色が違ってくるのと同じです。でも、テレビでは向こうが勝手に流れていく。こちらの出力には一切関わりなく動くものは脳にとってはよくありません。

ただ、テレビゲームに問題があるとすれば、コントロールしきれるかということです。どんなものごとも100パーセントコントロールできるわけはないけれど、そこは踏まえておかないといけないです。

――テレビゲームを活かせる分野はあるでしょうか。

養老:コンピュータが日常的に当たり前になってきましたから、高齢者もある程度そういうものに慣れていかないといけないと思います。テレビゲームは高齢者に向けたゲームの効用も考えていけるわけです。子どもたちに教えさせるようにすれば、教え方をいろいろ考えると言うこともありますし、コミュニケーションにもなる。高齢社会のいろいろな部分につながる可能性はあります。

テレビゲームはテレビよりも主体的に関わるから、高齢者にはいいんじゃないかと思います。きっといろいろあったものが開発されるでしょう。

体を使うこととテレビゲーム、違う世界を楽しむ

――テレビゲームと人が健全な関係を築いていくとき、最も基本となることは。

養老:乱暴に結論を言ってしまうと、結局、体を使って働くのが一番いいんですよ。できれば、太陽を浴びて。それとテレビゲームを並行すると、どちらも面白いことが非常によくわかります。まったく違う世界だから、お互いを引き立たせるのです。

これは社会で健全に生きていくことにもつながる。今の社会は、狭い世界で生活が成り立つようにつくってあるから、人は体を使うということを意識的に考えなければなりません。歩くといっても、1日中、同じ固さの平らな地面しか歩かないでしょう。階段だって、幅が同じでしょう。僕は、新しく家を建てるなら「階段の幅を一段一段変えろ」「床は固さを変えろ」と言うんです。こういうのをバリア・オンリーの家と言うんだけど(笑)。それくらいのことを考えなきゃいけないのです。

子どもたちに場を与えることをできるだけやっています。子どもを山に連れていって、一緒に虫を捕る。その時に子どもたちが何をやっているかはあまりかまわない。自分の好きなことを集中してやる。自分で世界を発見する。そういう機会を与えることが大事です。

もう少し上の世代の若い人に言うとしたら、考えられる範囲の中で動いているし、狭い枠組みで考えすぎていると思います。その範囲の中で生きていこうとするから、退屈だとか面白くないとか感じる。そして、考える範囲以外のことが起こると、被害者づらする。その狭い場所から一歩踏み出すことを勇気と言います。

生きているということが、そもそも何があるかわからない。僕は賭けごとはやらないけど、それは人生そのものが賭けだから。人生に賭けるほうが面白い。若い人にはいろいろなことに一歩踏み出してほしい。踏み出したら、集中して本気でやる。そうしていくことで、自分自身の「分別」をつけてほしいと思います。