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研究者インタビュー

ゲーム研究者インタビュー

サイトウ・アキヒロ先生インタビュー【第2回】

テレビゲームへの正しい理解を~ゲーム研究者インタビュー

サイトウ・アキヒロ先生インタビュー

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サイトウ・アキヒロ(さいとう あきひろ)

亜細亜大学 都市創造学部 教授

1961年、神奈川県生まれ。多摩美術大学在学中よりCMディレクターやアニメ・プロデューサーとして活動しながら、ファミリーコンピュータ(ファミコン)の初期から任天堂を中心にゲーム・クリエイターとしても活動を開始。以後、近年まで多数のゲーム制作を指揮する。現在は、ゲームにおける「人を夢中にさせるノウハウ」の他分野での活用を提唱し、これを「ゲームニクス」と命名して、家電や教育などの分野で実践している。著書に「ゲームニクスとは何か─日本発、世界基準のものづくり法則」(幻冬舎)、「ビジネスを変えるゲームニクス」(日経BP社)などがある。

第2回あらためて「ゲームニクス」概論

2019年4月15日掲載

----さきほど、ゲームニクス理論のほかに、「インターフェイスの観点からみたゲームの歴史」も教えているとおっしゃっていましたが、これはどのような講義なのでしょうか?

サイトウ:ゲームのインターフェイスのうち、たとえば、ゲームパッドについて言うと、ファミコンのコントローラで使われている「十字キー」というのがあります。これはすごい発明だと思いますね。ただ、これは突然生まれたわけではなくて「ゲーム&ウォッチ」での試行錯誤の結果なんです。それ以前はジョイスティックが主流でした。ほかには、エポック社の「カセットビジョン」では左右にボタンが付いていましたし、「チャンネルF」というゲーム機では細長い棒の先に、ぐるぐる回るノブのようなものが付いていましたね。

「ゲーム&ウォッチ」は任天堂の横井さんが開発していたんですが、これはゲームごとにインターフェイスが異なっていたんです。丸ボタンが左右に1つずつ付いてるものや、2つずつ4つ付いてるもの、十字に4つ並んでいるものがあったり、あるいは縦型と横型のスイッチが左右にあったり...と、いろんなものがあったんですよ。その中で、「ドンキーコング」で採用されたのが「十字キー」だったんです。これが実によくできていて、横井さんが、これならあらゆるゲームに使えるということに気づいたんですね。それで、この「十字キー」がファミコンにも採用されていくわけです。

「ゲームの歴史」というのは、「ゲームのインターフェイスの歴史」と言い換えてもいいと思います。どんなデバイスならモニターの中といかに気持ちよく情報のやり取りができるのか? デバイスがゲームデザインを規定するんですよ。そういったインターフェイスの最適化を、ゲーム業界はずっと追求し続けているんです。その過程で、十字キーとA/Bボタンという組み合わせが、非常に優れたインターフェイスとしてピタッとハマったんですね。

それで、このインターフェイスが長い間支持され続けてたんですが、一方で、任天堂はゲームには「驚き」が必要だと常々考えていて、「十字キーとA/Bボタンの組み合わせ」は優秀ではあるのだけど、「驚き」はもうないだろうと。このデバイスにおけるデームデザインのアイディアは出尽くしたと、あるとき判断したんですね。そこで、Wiiでは「リモコン状のコントローラ」を、ニンテンドーDSでは「ペンタッチ」を採用して、インターフェイスを一気に切り替えました。新しいデバイスを投入することで、新しいゲームのデザインや、新しい遊びが生み出せるのではないかと目論んだわけです。

これは「驚き」という点ではいいアイディアで、たとえば、Wiiリモコンとスポーツゲームの相性は抜群でした。一方で、たとえばWii版の「ゼルダの伝説」では、画面下に操作説明がずらずら並んでしまっています。「画面上の操作説明を極力表示しないで遊べるようしなければいけない」としているゲームニクス的には最悪のデザインです。やはりこれは「十字キーとA/Bボタンで遊ぶ」のが最適なゲームだったんです。そういうわけで、結果的には、Wiiリモコンというデバイスには、ゲームデザインとしての幅は期待したほどにはなかった(苦笑)。それで結局、Switchではまた「十字キー」に戻ったというわけです。では、Switchのデバイスが目指したものはなんだったのか。

...というような感じで、インターフェイスの観点からみたゲームの歴史を教えております。

----「ゲームニクス的には最悪」というお話が出ましたが、ここであらためて、先生のゲームニクス理論についてご説明していただけますか?

サイトウ:ゲームニクスというのは、一言で言えば、ゲームにおける「人を夢中にさせるノウハウ」を体系的にまとめたものです。売れるゲームをつくるためには、「人を夢中にさせる」ことが必要です。以前、NHKから取材を受けたときにもお話ししたんですが、人気が出るゲームにはいくつかの条件があります。

第一に「誰でも迷わずゲームができること」。まず何をして、次に何をしたらいいか、マニュアルなんか読まなくても、子どもでもお年寄りでも直感的にわかるようになっていることです。「ドラゴンクエスト」を例にとると、ゲームが始まるとすぐ王様が出てきて、お姫様を助けるために旅をするというゲームの目的を説明してくれます。次に何をどうすべきか、といったゲームを進めるのに必要な情報は、その都度、登場するキャラクターがすべて教えてくれます。

第二に「メリハリがあること」。「ドラゴンクエスト」では、町を出てフィールドを歩いていると、画面が変わって戦闘が始まります。戦いはゲームの醍醐味ではありますが、さまざまな敵と戦うことで集中力や緊張を強いられる時間です。そしてまた町に入ると、今度は、町の人と話をして情報を集めたり、店で武器を揃えたり、宿で体を休めたり...など、落ち着いてプレイをすることができます。「動」と「静」を繰り返すことによって、飽きがこないようになっているんです。

第三に「面白さが段階的に広がること」。ゲームが進むにつれて、要求されるミッションは少しずつ増えていきます。一方でプレイヤーのほうもレベルが上がってきていて、そのミッションに自然と対応することができるようになっています。なので、無理なく上のレベルで楽しむことができるんです。また「ドラゴンクエストII」では、最初は「I」と同じく一人旅なんですが、途中から仲間を連れて旅をするようになります。ですから、やるべきことがどんどん増えていく一方で、仲間も増えている分、できることも徐々に増えてきて、船で海を渡れるようになったり、「III」では空を飛んだりすることもできるようになりました。最初に「あれもできる」「これもできる」と一気にいろんなメニューを用意されると、逆にどうしたらいいかわからないものなんですよ。仲間が増えていって、できることが少しずつ増えていくことと、やるべきことが少しずつ増えるということがうまくリンクしているんです。これは堀井雄二さんのすごいアイディアだったと思いますね。

このようにして「人を夢中にさせる」ことが、売れるゲームをつくるには何よりの前提なんです。...まあ、ゲームをつくってる人にしてみれば、当たり前のことしか言ってないんですけどね。ですから、ゲームニクスといっても、理論でも何でもなくて、"大工の棟梁の経験をまとめたノウハウ集"みたいなものです。

でも、任天堂の岩田さんにも「これだけの内容をよくまとめたね」と言われましたし、そういう意味では、ちゃんと整理・分類してまとめたというところに、ゲームニクスの意味はあったんだと思います。

----このゲームニクス理論をまとめるにあたって、いちばん役に立った経験は何だったのでしょうか?

サイトウ:それはもう、任天堂の「マリオクラブ」での経験ですね。開発中のゲームソフトをテストプレイして、その評価を開発にフィードバックする任天堂の社内システムなんですが、この「マリオクラブ」で高評価を得られないと、ソフトが完成しても発売すらしてくれない時期もあったんです。このたいへんな経験が結果的に役に立ちました。私自身は面白いゲームをつくったと思っていても、「マリオクラブ」で面白くないと言われたらそれまでなんです。それで、万人が面白いと言ってくれるようにするにはどうしたらいいのか、「人を夢中にさせる」方法をひたすら追求するようになりました。ですから「ゲームニクス」というのは、そういうゲーム業界内での"トライ&エラー"の積み重ねで出来てきたノウハウなんです。

もちろん、ゲームニクス理論を忠実に守りさえすれば売れるかというと、そうとは限りません。ですが、お客様に商品をご提供する上での最低限のルールとして、ゲームニクス的にしっかりしたものをつくっておく必要はあるんです。いくらストーリーが面白くて楽しげな展開が待っていようとも、最初につまづいてヘコタレてしまうのでは、先に進めませんから。

----たしかに、先に進めないと面白くないですからね。

サイトウ:そうなんです。大学で、ゲームデザイン志望の学生にゲームを企画させてみると、ほとんどの学生が、ゲームにどんな「ストレス」を設定するかということばかり考えてくるんです。障壁とか、課題とか、困難とか、面倒なミッションを次々と出してきて、それをどうやって攻略するか、というのがゲームだという発想です。そうじゃない。彼らに欠けてるのは、ゲームの遊び手が「何をしたらご褒美をもらえるのか」「どうやったら褒めてもらえるか」という視点です。だって、ゲームなんて、褒めてもらえなかったら単なるストレスの塊ですよ。「戦え」とか「撃ち落せ」とか「消せ」とか「走れ」とか「逃げろ」とか「避けろ」とか「アイテムを探せ」とか「高得点を狙え」とか...ひたすら何かを課せられて、ずっとストレスに晒され続けているだけなんですから。

そんなストレスばかりのものになぜ夢中になるのか。それは、ストレスの先に何か「いいこと」があるからなんですね。面倒なミッションをクリアしたら、ご褒美があったり、褒めてもらえたりして、もてなしてもらっているからなんです。敵を倒したらアイテムをもらえる。早く走れば得点が増える。派手なファンファーレが鳴って祝ってくれる。そうすると遊び手は嬉しくなり、喜びに満たされ、幸せに包まれる。褒めてくれて、存分にもてなしてくれるから、みんなゲームに夢中になるんです。つまり、ゲームの本質は「褒めるメディア」「もてなしのメディア」なんですよ。

これに対して、勉強は、テストで100点を取ったときは親も褒めてくれるでしょうけれど、普通の日々においては、勉強をしているだけでは誰もいちいち褒めてくれません。ゲームで言えば、クライマックスのボス戦に勝ったときだけは得点がもらえるけど、それまでのいくつもの戦いでは、いくら勝っても何の反応もなく、得点もアイテムも何ももらえないようなものです。こんなただただツラいだけのゲームなんて、誰もやりたくありませんよ。しかも、やらなかったら怒られるんですから。

本当にゲームから子どもを引き離して勉強させたいんだったら、子どもの勉強の面倒を見て、ちゃんとできたら褒めてあげないといけないと思います。しっかり子どもの相手をして、もてなしてあげないといけない。それなのに現実はというと、褒めるどころか、逆に怒ってばかりいる。要は、親がサボっているんですよ。これに対して、ゲームはきちんと子どものやることを褒めてくれます。だから子どもはゲームに夢中になるんです。

----その一方で、子どもがゲームに夢中になるあまり、没頭してやめられなくなってしまうことがあります。これに関して、ゲームニクスの観点から先生はいかがお考えでしょうか?

サイトウ:ゲームのつくり手としては、遊び手をいかに夢中にさせるかが勝負ですから、没頭してやめられないというのは、ある意味、狙い通りですし、ゲームニクス的には必然の結果でもあります。ゲームの中には、夢中になるポイントがいくつも意図的に仕込まれているんです。なので、プレイしている人が、そのうちのどこのポイントで夢中になっているのか、そしてなぜそのポイントで夢中になっているのか、ということは、プレイしている様子を見れば、つくり手である私たちには手に取るように分かります。逆に、その人がどんな壁にぶつかっているのか、そして、その人がそのときどういうレベルにあって、それをどうやって乗り越えていったのか、ということも注意深く見ていけばみえてくるんです。

私たちは、遊び手があるポイントでひときわ熱中しているとか、壁にぶち当たっているという事実(ファクト)と、そのポイントがなぜ遊び手を夢中にさせるのか、あるいは、どうすれば乗り越えられるのかというつくり手としての根拠(エビデンス)を完全に把握しているんです。ところが、我が子が「ゲームに夢中になりすぎている」と訴える親は、ただただゲームをやめられないという結果を言い立てるだけで、具体的なファクトもエビデンスも持っていないことがほとんどなんですよ。

だから親も、単に「ゲームを止めろ」というだけでなく、むしろ子どもがゲームをする様子をきちんと最後まで見てあげたほうがいい。「子どもがそのゲームのどこに夢中になっているのか?」「なぜ壁にぶつかっているのか?」「なぜそれを乗り越えることができたのか?」それは子どもによってそれぞれまったく違います。ずっとうまくいかなかったところも、あるとき突然ポーンとできるようになることもあります。そこのところを親は注意深く見てあげてほしいんです。

子どもが夢中になれるということは、それが「得意なこと」だからです。それは「記憶力」なのか、「俊敏性」なのか、持続力なのか...その子がゲームで発揮している"得意な能力"を冷静に見きわめてください。そうすれば、ゲーム以外の日々の生活や勉強の面でも、それを伸ばしていけるように、うまくヒントやきっかけを与えてあげられるんじゃないかと思います。

壁に苦しんでいたところを努力して乗り越えたのなら、まずはそのことを褒めてあげてください。そして、「何度も粘り強くやり続けた」とか、「やり方を工夫した」とか、「その子がどんな努力をしたか」というポイントを理解した上で、「その努力の方法は、勉強でも通用するんだよ」と教えてあげれば、子どもも前向きになれるんじゃないでしょうか。そういう意味では、ゲームは子どもの個性や才能を発見するいいツールであると思いますよ。