CESA:一般社団法人コンピュータエンターテインメント協会

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ゲーム産業の系譜

スコット 津村

スコット津村【第3回】

1970-1980年代

ビデオゲーム業界の軌跡に見え隠れする自分の半生

写真

スコット津村(Scott Tsumura)

Tozai, Inc.
エグゼクティブ・プロデューサー

1942年、愛知県名古屋市生まれ。米国ワシントン州在住。メダルゲーム機の製作販売などを経てIPM(後のアイレム)に入社、『ムーンパトロール』『スパルタンX』『ロードランナー』『スペランカー』などを手がける。1988年に渡米後、キョーダイソフトウェア、ブレットプルーフソフトウェア、Tozai,Inc.、ニンテンドーソフトウェアテクノロジーなどを設立し社長を歴任。現在はTozai,Inc.でエグゼクティブ・プロデューサーを務める業界歴40年の現役ゲームクリエイター。

第3回物語重視の日本、グラフィック重視の「洋ゲー」

2015年5月25日掲載

ビデオゲームは、最初はなかなか社会的に認められませんでした。「遊びは堕落だ」という日本人の昔からの意識も一因だったと思います。しかし、ファミコンはそれを打ち消してくれました。ひとつはゲーム機が家庭に入ったことで、ビデオゲームにまつわるうさん臭い雰囲気が解消し、健康的な意識が芽生えたのです。もうひとつはファミコンのおかげで多くの関連企業が経済的に潤い、産業としての地位が確立されました。

ファミコンは日本のみならず、世界的に影響がありました。アメリカでもNES(Nintendo Entertainment System / 北米版ファミコン)が普及して、大きな産業になりました。メーカーの資産も潤沢になり、それを使ってコンピュータ技術やソフト・ハードの開発技術の発展に投資ができたのです。ですから、今の素晴らしい3Dグラフィックスや3Dプログラムなどの技術も、NESのおかげで下地が作られたと言えます。

現在作られている映画は、ほとんどがコンピュータグラフィックスを使っています。それはビデオゲームでその技術が発展したおかげだと思っています。基本的にグラフィック技術が発展した舞台はアメリカであり、グラフィックの技術力は、かつてはアメリカが抜きん出ていました。なぜかといえは、アメリカのゲームはPCからスタートしたからです。そういう技術が発達する土壌はPCだけでなく巨大な映画産業との相乗効果もあるアメリカやヨーロッパのほうが有利だったのです。ところが、なぜ日本のゲームがアメリカやヨーロッパで大評判になったのでしょうか?

初期のアーケードゲーム機で、『アステロイド』というワイヤーフレームで描画されたゲームがあり、アメリカでは大ヒットしたのですが、日本ではあまりヒットしませんでした。なぜかというと、基本的な考えとして右脳型と左脳型の影響があるのではないかと思います。西洋人は右脳型で、イメージ・感覚・直感に優れています。日本人は左脳型で、論理や分析、計算は得意ですが、イメージすることは得意ではありません。アメリカ人に四角い箱を渡して「これは自動車です」と言うと、想像力を働かせて箱だけで遊ぶことができます。日本人はそう言われても「車輪がないのになぜ自動車なのか」と思ってしまいます。日本人には細かいところまで準備する必要があるのです。

よく日本では海外のゲームを「洋ゲー」と言います。海外のゲームは想像力に依存してゲーム内容に対する情報が足りず、ゲーム作りにも行き届いた丁寧さがないので、(日本のゲームより劣っているという意味合いを込めて)「洋ゲー」と呼んで区別してしまうのです。

一方、なぜ日本のゲームが海外で売れるのかというと、すべてが細かく作られているからです。いくら西洋人の想像力が豊かでも、しっかり整えられたゲームのほうがいいはずです。日本はゲームばかりでなく、自動車でも何でも大ざっぱなところがなく、きめ細かに製作されています。それは西洋人にも好んで受け入れられます。日本のゲームがアメリカで売れて、アメリカのゲームが日本で売れないというのはこのような理由もあると思います。

日本と海外のゲームには、もうひとつ違いがあります。日本のゲームは物語が非常に好きで、ゲームの背景やストーリーを語る場面が多くあります。欧米人にとってそれは煩わしく、早くゲームを始めたいと思ってしまいます。私が心配しているのは、日本のゲームが物語を作りこみすぎることです。世界観をふくらませて、そこへ自分を没入させるのが日本人の好みですが、それは海外では通用しません。先ほど右脳・左脳の話をしたように、欧米人はそこまで説明されなくてもゲームの世界に入ることができます。ですから、その点のバランスは注意しないといけません。

一方、アメリカ人はダイナミックなビジュアルを重視し、見た目のインパクトを持ったゲームが数多く出ています。それを日本へ持ち込むと、確かに日本人も驚きますが、ビジュアルを見て感激するのは一瞬だけです。1回目は感動しますが、2回、3回と重ねるとそれが薄れていきます。ビジュアルだけで売ろうとするのも気をつけないといけません。しかし、彼らは日本のゲーム作りの丁寧さも少しずつ学んでいます。それをしっかり習得し、開発技術力も高ければ、日本の優位な立場もやがて危なくなるかもしれません。最近はそう感じることがよくありますね。しかし忘れてはならないのは、技術や豪華さだけに目を奪われず、○×でも遊べるようなクラシックゲームの持つ、味のある、あの「ゲーム性」だと思います。