CESA:一般社団法人コンピュータエンターテインメント協会

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ゲーム産業の系譜

西 和彦

西 和彦【第2回】

1980年代

MSX誕生30周年~生みの親が語る開発秘話

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西 和彦(Kazuhiko Nishi)

株式会社アスキー創業者/元代表取締役社長。

1956年、兵庫県神戸市生まれ。現在、須磨学園 学園長、尚美学園大学 大学院 芸術情報研究科 教授、埼玉大学 大学院 経済科学研究科 客員教授、早稲田大学 大学院 国際情報通信研究科 客員教授、デジタルドメイン 代表取締役社長、アカシックライブラリー 代表取締役社長。

第2回ゲームもできるコンピューター入門機「MSX」

1983年に発売されたMSXはコンピューターの入門機という位置づけでした。MSXは自分にとって最初のコンピューターで、これと出会ったことによってコンピューターの世界に入ったという人はたくさんいます。コンピューターのことが学べてゲームもできますし、シンプルなアーキテクチャーだからコンピューターのハードウェアを学ぶこともできます。

MSXが発売された当時、マスコミはMSXがファミコンと競合するとして、両者を比較する記事がよく書かれました。これに対して、MSXをゲーム機と同じにしないでほしいという気持ちが常にありました。

MSXはゲーム機ではありません。MSX2、MSXturboRと代替わりが進んでいくうちに、MSXにCD-ROMドライブをつけて、ゲームをプレイできるようにしようという提案がありました。しかし、CD-ROMでゲームが動くことにすると、MSXがコンピューターではなくなるという危惧がありました。キーボードがなくなり、CD-ROMをセットしたらゲームができるというのでは、ただのゲーム機です。そうなるとMSXの自己否定になるのではないかと思ったのです。時間をかけて議論をしましたが、結局は投入しない決断を下しました。

MSXはゲーム機と違ってオープンなビジネスモデルを採用しています。コンピューターに必要なのはオープンなアーキテクチャーだからです。IBMもパソコンを出したときにアーキテクチャーを事実上オープンにしたから、大きな産業に育ったのだと思います。MSXもそれにならってオープンにしました。

当時流行していたゲーム機は今は残っていませんが、MSXはエミュレーターという形で生き残っています。それはMSXがオープンアーキテクチャーだったからにほかなりません。そういう意味で、このときは正しい判断をしたのではないかと思っています。その結果、MSXはコンピューターのプログラミングを学ぶ教材として、役目を果たしたのです。

もっとも、MSXが対応できなかったこともいくつかあります。ひとつはインターネットです。パソコン通信には対応していましたが、次の時代のインターネットには対応できませんでした。MSXを90年代まで続けて、インターネットの対応をしっかりやるべきだったという思いがあります。

もうひとつは「MSXビュー」というウィンドウソフトを開発していたのですが、途中で中止になってしまいました。のちの時代の流れを考えると、続けておけばよかったと思っています。

また、MSXをワンチップ化するというユニークな試みがありました。東芝がZ80とサウンドチップとシステムチップをひとつのチップに入れて、MSXを作ってくれたのです。しかし、コストが高くなったために世に出すことはできませんでした。今となっては、これも止めるべきではなかったと思います。

あとは、MSXのライセンスとパートナーづくりをよく考えて進めるべきだったと思っています。MSXをライセンスした会社は20社程度ありましたが、やや多すぎたようです。最初に5社程度にライセンスして、利益を出して市場が広がっていったらライセンス社を増やしていくというように、戦略を考えるべきでした。